批判的思考の必要性

批判的思考はいらないなどと書いたので,今度は逆に,批判的思考の必要性について書かれている文章を紹介します(引用中の強調はすべて引用者によるものです)。そこで「どのような」批判的思考の必要性があるかをみておきましょう。

まずは佐藤(2003)*1から。

 OECDは,現在の子どもが社会人となる2020年において,加盟国30か国の製造業に携わる労働者の比率は,労働人口の10%から2%に激減すると推定している。21世紀の社会は,知識が高度化し複合化する社会であり,その知識が絶えず流動し,更新され,発展する社会である。創造的思考,批判的思考,コミュニケーション能力,探究的な学びなどが求められているのは,この社会的変化に対応している。
 21世紀の学校においては,学びの量ではなく,質が問われているのであい,生涯にわたって学び続ける主体の形成が要請されている。

ここで求められているのは,「知識が絶えず流動し,更新され,発展する」という「社会的変化に対応」した思考力であり,「生涯にわたって学び続ける主体」としての思考力,ということのようですね。

次に,市川(2004)*2です。「人間力」の説明のくだりで,健全な生活を営んでいる一般市民をモデルに,職業生活,市民生活,文化生活の3つの基礎を学ぶことが必要,という中に出てきます。

 「市民生活」を営むためには,他者の言っていることを鵜呑みにしてしまうのではなく,それを自分なりに批判的にじっくり検討して意見を持つという「批判的思考」が必要です。これは,受信・発信を含めてメディアとどう関わっていったらよいかという「メディア・リテラシー」に直結します。

ここで求められているのは,自立した市民として生活するためのある種のリテラシー,ということのようです。なお,その他のところにも,文化生活の中に「学習スキル」「社会的スキル」が,職業生活の中に「コミュニケーション・スキル」「協同的問題解決」が,市民生活に「消費者教育」が挙げられていますが,これらも批判的思考と関わるように私には思えます。

最後に,苅谷・西(2005)*3の中の西氏の発言です。

教育ってある意味で常識に染める部分があるでしょ。こういうものだよってステレオタイプを与えてしまう。それだけでなくて,「批判的な思考」というものをどう育てていくのかと言うことが重要なところだと思います。
 基本は,「了解の形を動かすこと」ではないかと思う。〔中略〕
 そもそも批判的思考を育てる理由とはなんだろう,という根っこを考えればそこが根です。僕らはいつでも通念的世界像をつくっていて,こういう問題の原因はこうなっているはずだ,だからこうすれば解決するはずだと思っているが,じつはこの思い込みによって問題を解決しにくくさせていることがたくさんある。
 だから,そういう了解の形をどのように検証し直し,それをまた新たにつくり出すかという課題がいつでもある。これは自由な社会に生きる人間にとって,個として生きていく場面でも,社会的な困難を乗り越えていくためにも,重要になってくるはずです。

ここで求められているのは,「了解の形を動かす」ことで「問題を解決」したり,「社会的な困難を乗り越え」る,ということでしょうか。「了解の形を動かす」というあたりが,哲学者らしいなという気がします。

*1:佐藤 学 (2003) 教師たちの挑戦─授業を創る学びが変わる 小学館, p.8

*2:市川伸一 (2004) 学ぶ意欲とスキルを育てる─いま求められる学力向上策 小学館, p.168

*3:苅谷剛彦西研 (2005) 考えあう技術─教育と社会を哲学する ちくま新書, p.245