心理臨床と批判的思考

大学院の授業で、受講生に「心理臨床と批判的思考の関係」について考えてもらいました。

受講生は、半分が臨床心理学専攻の学生、半分が学校教育専攻(心理学コース)の学生です。前の週に、臨床心理学専攻の学生の一人が「カウンセリングと思考」に関する発表をしてくれたので、それを受けて、私がごく簡単に、批判的思考の概説をした後で、上記の問題を考えてもらいました。

両専攻の学生が入り交じった混成グループで10分ほど考えてもらったところ、どちらも割と似たような結論になりました。心理臨床を「卵」にたとえていうなら、「黄身」の部分にあるのが批判的思考。だけど心理臨床はそれだけでできているのではなく、白身の部分がある。それはたとえば「受容と共感」のようなものだ、というのが、一方のグループが説明したことでした。

心理臨床の中の一要素として(しかも中核に)批判的思考を位置づけるというのはおもしろいな、と思いましたし、なるほどそうかもしれない、とも思いましたが、一方で、批判的思考をそこだけにとどめておくのは私には多少不満な感じでした。

というのは、共感的理解をするためには、自分の理解の前提や枠組みをこそ批判的に検討する必要があると思うからです(道田, 2002)*1。実際、カウンセリングにおける共感の意味や役割について書かれた角田(1998)*2は、「「わからない」体験を認識することが、共感への第一歩」(p.32)、「とらえ直しによって、一見共感と思えない体験が、体験的な理解につながる」(p.100)と書いています。一見、共感できないような「わからない」相手に対して、とらえ直しを行うことで、共感できないものが共感できるようになる、というような感じでしょうか。そこでは、自分の理解を批判的にとらえ直す思考(=批判的思考)が必要だと思うのです。

学生が出してくれた「批判的思考の『黄身』メタファー」は、興味深いものではありますし、何となく分かる気もするのですが、批判的思考の捉え方が狭いように感じました。批判的思考を、一つの要素とか技術として捉える捉え方とでもいいましょうか。

ではそれとは違う私の批判的思考の捉え方は何だろうとと考えたときに、以前に論じた、「通常の思考+メタ認知 = 批判的思考 」という図式*3が思い浮かびました(幸いなことにこの日の授業でも、このことは少し触れていました)。これと同型だと考えると、次のように言えるのではないでしょうか。

日常的な他者理解や相談 + 批判的思考 = 心理臨床

批判的思考とは平たくいうと、何かを理解するときや何らかの行為を起こすとき(判断を下すときなど)にも、一度きちんと(合理的に)、じっくり(反省的に)考えてみましょう、ということだといえます*4。その言い方でいうならば、日常的に行っている他者理解や相談行為を、過去の心理臨床的な知見の蓄積を元に、きちんとじっくり行おうとしたのが、いわゆる心理臨床といえるのではないでしょうか*5。その「合理性・反省性」の源は何かというと、先に書いたように、多くは「過去の心理臨床的な知見の蓄積」(理論や技法など)でしょうが、それに加えて、心理臨床家自身の「メタ認知」的なモニタリングとコントロールも重要ではないかと思います*6

先の学生の捉え方が、「要素・技術としての批判的思考」であるとするならば、こちらはなんと呼べばいいでしょう。適切な言い方かどうかはわからないのですが、とりあえずは「態度としての批判的思考」とでも呼んでおきましょう(われながら今ひとつな呼び方な気もしますし、こう呼ぶしかないような気もしますが)。

こう捉えてしまうと、批判的思考を広く捉えすぎだと思う人もいるだろうと思います*7。まあしかし私としては、「批判的思考なるものをどう捉えるか」に大きな関心があるわけではなく、「よりよい思考が達成されるにはどうしたらいいか」がみえればいいし、このような考えに触れることで心理臨床の捉えなおしが可能になったり、逆に心理臨床を知ることで批判的思考の捉え直しが可能になったりすればいいなと思っていますので、「批判的思考なるものをどう規定するか」という点は私にとってはあまり大きな問題ではないのです。

*1:道田泰司 2002 批判的思考におけるsoft heartの重要性 琉球大学教育学部紀要, 60, 161-170.

*2:角田 豊 1998 カウンセリングと共感体験−共感できない体験をどうとらえ直すか− 福村出版

*3:http://d.hatena.ne.jp/michita/20081215/p1

*4:これはEnnis(1987など)の定義「何を信じ何を行なうかの決定に焦点を当てた,合理的で反省的な思考」という表現を、私なりに平易にしたものです

*5:つまりこの考え方は、日常的な他者理解や相談行為と心理臨床は、質的な違いはあるにせよ、連続したものであると捉えるわけです。そうではなく心理臨床は日常的なかかわりとはまったく別物だ、と考える方は、上記の図式には反対でしょうね。

*6:「反省的実践家」としての心理臨床家とでもいいましょうか

*7:実際、以前にある大学院で批判的思考の集中講義をしたときには、そのような意見がちらほらと見られました