考えるために重要なこと

先日,「パワーポイントの弊害、米軍大将らが指摘」という記事を書いた。記事を書いたと言っても,他のwebページの記事を引用(というかクリッピング)しただけなのだが。

そうしたところ,コメントがつけられていた。私自身,ちょっと前まで忙しく,このページを更新するどころか,見る(精神的)余裕もなく,今日発見した。コメントをつけてくださったdolittleさん,レスもなく,どうもすみませんでした。

dolittleさんのコメントが別記事につけられていることもあり,改めてここに,dolittleさんのコメントを再掲させていただく。

初めまして。dolittleと申します。この話、分かるような気がします。パワーポイントで説明されると「分かった気になる」「分かった気にならなければいけない」という雰囲気になります。また、パワーポイントが出始めの頃は、少数の使える人に入力作業が集中し、「パワーポインター」と呼ばれていました。考えるためには何が重要なんでしょう?

最後に,「考えるためには何が重要なんでしょう?」という問いをいただいた。あ,そういえば何なんだろう.........とけっこう考え込んでしまった。しばらくして気づいた。私は今,けっこう考えているわけで,今ここで起きていることにヒントがあるんじゃないかと。

要はこういうことではないだろうか。パワーポイントをつくってプレゼンをした。聴衆のなかには,「わかったつもり」になっている人もいるだろう。でも逆に,疑問を持っている人もいるだろう。その意見なり疑問なりを出してもらうことで,今度はプレゼンター(あるいはパワーポインター)の「わかったつもり」が照射される。

つまり,考えるために重要なのは,「対話の場をつくる」ことだと思う。悪いのはパワーポイントそのものではない。それを契機に対話の場が作られれば,「議論、そして思慮深い意思決定を阻害」することは起きない。逆に対話の場がなければ,パワーポイントがなくても(口頭のプレゼンだろうが,配付資料を使ったプレゼンだろうが),議論や思慮深い意思決定は生まれないだろう。

付け加えるならば,対話の時間が用意されていればいいというだけではだめだろう。素朴に思ったことや感じた疑問を自由に口に出せるという雰囲気(というか文化)がないと,dolittleさんがおっしゃるように,「分かった気にならなければいけない」という雰囲気に負けて,対話は起きないだろう。

...なんてことを考えるきっかけを与えてくださったdolittleさん,どうもありがとうございました。