長期スパンで育てる

奈良に行ったのは、奈良女子大学附属小学校の学習研究発表会に参加するためでした。

附属小の授業、とりわけ公開研での授業というと、教材を工夫し、発問を工夫し、ときに教師がゆさぶる、ということが多いと思うのですが、奈良女はそのほとんどを禁じ手として封じている、というのが私の奈良女理解です。

ではどうするかというと、典型的な授業(学習)では、司会係の子どもが進め、子どもが発表し、それに対して子どもが質問(おたずね)をすることで進んでいきます。先生が方向づけるとしても中盤あたりで1回話題を絞ったりするぐらいで(いつもではありませんが)、あとは最後の5分ぐらいに「先生の話」として今日の子どもの様子を褒める、という感じです。

これが可能になっているのは、まず一人ひとりが独自学習を行ってから相互学習に入るとか、1時間の授業(学習)の冒頭で各自がめあてをもち、中盤はおたずねとそれへの返答を中心に進み、最後に各自が振り返りを書く、不明な部分は後日調べ直しをする、という、ある種の型の繰り返しのなかで進められていくからだ、というのが私の理解です(これがあっているかとか、それが最重要ポイントなのかについては自信がありませんが、私にはそうだとしか考えられない)。

教師による発問や教材、ゆさぶりは、その1時間で子どもをなんとか刺激しようという意味で、「即効性のある(即効性を求めた)薬」のようなものだと思います。それに対して、子どもが自分たちで学びを進めていけるような型を用意し、それを繰り返す中で、自律的に学習を進めていく力を身につけさせていくというのは、1時間ではなく長いスパンで子どもを育てる(子ども自身が持っている、「育つ」力が発揮できるようにする)やり方だと思っています。

このブログでは、タイトルにつけたように「考えることについて考える」ブログなわけですが、考える力を育てるうえで、1時間という短期スパン(の積み重ね)でどうするかを考えるというやり方と、一定の型の繰り返しを通して、長期スパンで自分の持っている力が発揮できるようにするやり方という、2つの側面があることを思い起こさせてくれるというのが、奈良女子大学附属小学校の実践に触れる意義ではないかと思います(ということで私はここ4年間、毎年1回は行っているのです)。