キャリア・デザインと思考(2)−流れに身を任せることの必要性

昨日の続きです。『働く人のためのキャリア・デザイン』の第1章を読んで考えたことを書きます。

キャリアの話と思考の問題とが関わるのは、「いつ(いつでも)その問題を考えるべきか」という点においてです。たとえば、批判的に思考することは大変なことだけれども、いつもそうする必要があるのか、という問題があります。

キャリア・デザインについて同書では、昨日書いたように「節目に熟考+それ以外はドリフト(身を任せる)」という考え方をしています。つまりいつでも熟考する必要はない、ということです。それはなぜか。金井氏は、次のように書いています。

長い目でみた自分の働き方を節目にチェックしないのも具合がわるいが、キャリアについて毎朝自問している日が長らく続いているひとも調子がよくない。人生いかに生きるべきかに近いような問いだから、重く深い問いで、いつも考えていると辛気くさいというのはそのとおりだ。(p.22)

つまり、毎日考えるのは辛気くさいし大変だ、ということですが、それだけではありません。上記引用の直前には、次のようにも書いています。

節目さえデザインして、不確実ななかにも方向感覚を持っていれば、節目と節目は、多少とも流されてもいい。流れに身を任せるなかで、掘り出し物(セレンディピティ)がいっぱいあるかもしれない。しかし、それは、夢や方向感覚を節目の時に抱いてこそ、みえてくることが多い。(pp. 21-22)

ここでは、流されることの積極的な面が語られています。すなわち、立ち止まらずに流されていた方が、「掘出し物を偶然見つける」能力を発揮しやすいということのようです。なるほど、熟考しているときは気持ちが内側を向く形になり、それでは想定外のことを拾いにくい。しかし気持ちを外に向けて自分を開いていると、予想外のものにも対応しやすくなる、ということでしょう。

ということで、「いつ(いつでも)批判的思考をすべきか?」という問題に対して、同書を元に考えるなら、「節目(大事な時)にきちんと行い、方向感覚さえ持っていれば、それ以外ではあまりする必要はない。節目以外のときにはむしろ、流されながら掘り出し物に適切に反応できるよう自分を開いておくことが重要」という感じの答えになるでしょうか*1

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
ちなみに「掘り出し物を偶然見つける」ことを重視する考えって、野矢茂樹氏が『はじめて考えるときのように』で、「「考える」っていうのは,耳を澄ますこと,研ぎ澄ますこと」と書かれていることに似ている気がしました*2

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補足(2/22)

  • 「流されることの積極的な面」については、第3章にも「キャリアを歩むうえでの発想や行動のレパートリーを豊かにするうえで、しばしばドリフトしたほうがいいことさえある」(p.150)と書かれていました。
  • 『はじめて考えるときのように』については、以前書いた読書記録がこちらにあります(ごく簡単なものですが)。

*1:少し私なりの改変も行っていますので、筆者がこの考えに全面的に同意するかどうかは分かりませんが

*2:でも野矢氏はそれも含めて「考える」と言っているわけで、そうなると、思考は、節目での内向きの思考と、流されながら行う外向きの思考とでも言うべき、2種類のものがあると言えるのかな?