批判的思考本来の意味がぼやけてる?

とあるブログにコメントとして書いたので,こちらにも転載しておきます。これは,批判的思考に関するシンポジウムに参加された方が,「批判的思考がなんだか「要するに賢いこと」みたいになってきて,本来の概念の意味がぼんやりしてきてないだろうか」という感想を持たれ,それを終了後に私におっしゃった。それに対して,「うーん,僕はそれでいいんじゃないかと思うんですよ」と返事をしたことに対する補足です。

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「それでいいんじゃないか」というのはちょっと言い足りていないですね。批判的思考の捉えがいろいろあるのはそれでいい,大事なのは,「概念を」明確にしていくことではなく,「各人が批判的思考という語で表現しようとしているものを」明確にしていくこと。それをちゃんとやるなら,概念の曖昧さは「それでいいんじゃないか」(どうしようもないんじゃないのか),ということです(と,そこまでその場で考えていたわけではなく,今,一生懸命考えてようやく言語化できたわけですが)。

ですから,書かれている「心理学には便利な言葉がたくさんあって,それを使うと問題が記述できたような気がしたり,解決できる気がしたりしてしまうのだけど,その言葉に実態がないと,結局なんにもならない」というのは,まったく同意します。

私は,2003年の心理学評論に批判的思考概念のレビューを書いたのですが*1,その最後の2段落に書いたのはまさにそのことです。具体的には,「まず必要なことは,批判的思考という名前を外して考え,批判的思考の語を用いて扱おうとしているものは何で,そのためにはどのような範囲を定義・測定すべきなのかを検討することであろう」などと書いています。

だから当日の指定討論でも,話題提供者が「批判的思考」という語で(あるいは,話題提供した教育を通して)何を目指しているかを明らかにするために,「何を,何のために,どのように教育し,どう評価するのか」,について確認し,僭越ながら,足りないところやズレているところを指摘したんですね。

似たようなことは,はてなダイアリーで「批判的思考はいらない」と題して書いていますので,よろしければご覧下さい(http://d.hatena.ne.jp/michita/20070311/p1

*1:道田泰司 (2003) 批判的思考概念の多様性と根底イメージ 心理学評論, 46, 617-639.