二重過程理論の中の批判的思考(1)

 『心は遺伝子の論理で決まるのか』を読みました。2008年に翻訳が出されているのですが,もっと早くに読めばよかった,と強く思いました。それは,「思考」について考える上で,本書がとても示唆的な内容を持っているから,というだけではなく,心理学や関連諸科学がこれまでに明らかにしてきたことをもとに,それらを俯瞰する,非常に大きな物語を描き出しているからです。

心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性

心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性

 そのような,心理学の「大きな物語」を描き出した本としては,たとえば『サブリミナル・マインド』や『自分を知り、自分を変える─適応的無意識の心理学』があります。
サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)
自分を知り、自分を変える―適応的無意識の心理学
これらの本では,「人は自分で思っているほど,自分の心の動きをわかってはいない」ことが,心理学などの研究を通して浮き彫りにされています。

 「「人は自分で思っているほど,自分の心の動きをわかってはいない」」というのは,「わかっていない部分がある」という一面的な指摘です。わかっている部分もあります。ではそれはどういう部分で,なぜわかっているのか,わかっている部分とわかっていない部分はどういう関係にあるのか。そういった,より大きな全体像を,本書は提示してくれています。

 本書は,400ページを越える分量です。それだけでなく,非常に複雑で分かりにくい内容が述べられているように私には感じられました。そこで,4回*1ぐらいに分けて,本書の内容を確認し,そこから考えたことを書いていこうと思っています。

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 ということで,まずは第一章と第二章の内容です。本書の出発点は,ダーウィニズムであり,ドーキンスの「利己的な遺伝子」という考えです。すなわち,「私たちは,遺伝子の自己複製を可能にするために存在している」「われわれは,遺伝子を伝えるためにつくられた遺伝子機械である」(pp. 5-6)というものです。

 では遺伝子は,乗り物である生物をどのようにして操っているのか。一つのやり方は,状況ごとに,どう反応するか,そのステップをあらかじめプログラムしておくことです。本書ではそれは,ショートリーシュ(短い引き綱)と呼んでいます。遺伝子が操り糸を使って行動を直接制御する,というイメージですね。

 しかしこれでは,状況の変化などに柔軟に対応することができません。そこで,知性を持たせることでより柔軟に状況に応じて対応する,というロングリーシュ型の自由度の高い制御が組み込まれています。操り人形師がすべての動きを指示するのではなく,人形(=人間)自体が,状況に応じて知的に判断するのです。

 そうすることで確かに人間は知性を持つことで,より長く生きながらえていますし,地球上で繁栄しています。しかし同時に,知性を持つことで,遺伝子とは異なる目的を持つこともできるようになりました*2

 ここまでが第一章の概要です。

 第二章では,ヒトの脳の中には,先に述べたショートリーシュ型の目的を持つ処理プロセスと,ロングリーシュ型の処理プロセスという,2種類の処理プロセスがあることが論じられています(これが二重過程理論ですね)。

 ショートリーシュ型の目的のために動くシステムをを筆者はTASS(the autonomous set of systems:自律的システム)と呼んでいます。それは,「みずからの活動の引き金となる刺激に反応して,自律的に働く」(p.51)システム群です。そのような本能的,直観的,並列的なプロセスのことはさまざまな研究で言われていますが,筆者はその主要特性を,「迅速で,自動的で,強制的」(p.55)とまとめています。

 このTASSとして筆者は,生得的に持っているモジュールだけでなく,「無意識の学習および条件付けという領域非特異的なプロセス,および,感情による行動制御の自動プロセス」(p.61)も含めています。つまり,「修練によって自律性を獲得したもの」(p.56)も含むのです。そのなかには,修練を通して獲得された「概念的情報処理システムやルール」といった高次のものも含まれます。ここにはかなり重要な意味があると私は思いました。

 もう1つこれらについて私の考えを述べておくと,これら(学習や感情)は,遺伝子が短い引き綱(ショートリーシュ)を使って直接制御しているのとはやや異なります。その意味では,「セミショートリーシュ」とでも呼んだらいいのではないかなと思いました。

 TASSに対して,ロングリーシュ型の目的に対応したシステムが「分析的システム」です。それは,規則に基づいて,分析的,直列的,制御的に行われる処理です。それは,並列分散処理を基本とする脳内で,ソフトウェア的に実行されているといいます。ちょうど,ノイマン型コンピュータ上に並列分散処理システムをプログラム的に実行する,というのの逆になります。人間の基本は並列分散処理であり,ノイマン型コンピュータは直列的な論理処理なので,「人間がたやすくやってのけることはコンピュータにとって難しく,人間にとって難しいことをコンピュータはたやすくやってのける」(p.67)と筆者はいいます。これは「なるほどな」と思いました。

 では分析的システムはどのような特徴を持っているでしょうか。これについては,2章の記述からいくつかを抜粋しましょう。

  1. 分析的処理は直列的に実行され,中央から実行制御され,意識的で,演算能力への負担が大きく,領域非特異的な情報を演算に利用する(p. 62)
  2. 分析的システムは論理的,記号的思考に適した強力なメカニズムであるが,文脈から離れた認知様式であるために演算能力への負担が大きく,維持するのが容易ではない。この見方をすれば,分析的認知は「不自然」であり,したがって稀な存在となる。(p. 66)
  3. 直列処理シミュレータにはもうひとつ,孤立した状態にある認知サブシステムや記憶格納場所のあいだに,言語を使って新たな連結橋をつくる,という重要な機能があるといえる。(p.68)
  4. 表面的には似ていても重要なところで異なる複数の考え方を容易に表現できる*3のは,言語が合成可能性という特性を持っているからである。(p.69)
  5. 分析的システムはまた,個人が行っている行動について,一貫した物語のように語る役割を負っている。(p.69)
  6. 分析的処理システムの役割のひとつに,仮定的思考を助けることがある。仮定的推論をするには,外界の現実的状況ではなく,ありうる状況を表象し,演繹的推理から意思決定,科学的推論まで,さまざまな論理的思考をする必要がある。(p.70)
  7. カップリング*4能力があれば,現在自分が持っている世界観とは異なる世界観について考えたり,将来の行動の効果を予測したりするために,思考の土台として一時的につくる想像上の状況の表象を,現実世界の表象と混同せずにすむ。〔中略〕言語という弁別的表象媒体があることで,文化的に獲得される思考様式としての仮定的思考がきわめて容易になる。(pp. 70-71)
  8. 発達のある段階に達すると,デカップリングはいわゆるメタ表象(思考そのものについて思考すること)のために使われるようになる。メタ表象──自分自身についての表象──こそが,人間固有の認識形態である自分を批判的に見る姿勢を可能にする。(p.72)
  9. 迅速かつ非柔軟な〔中略〕モジュールが,硬直的反応が実行されるのに適さない環境で発火した時,TASSを拒否するのが分析的処理の重要な機能の一つであるという(p.88)
  10. いかに明快な思考プロセスであっても,非内省的なやり方で獲得,格納されたルールを喚起することはあり,その場合は,その種のルールにTASS反応が敗退することがかならずしも望ましくない,ということを示している。(p.105)

 私が目にとめたのはざっとこんなところです。これまでに私がさまざまな本で見てきたようなものがいくつも述べられており,なるほどと思うことが多かったです。たとえば,分析的(論理的)思考が「不自然」とか「現実べったりではない」というのは,哲学者の野矢茂樹氏も述べていたことです。

 私はこれらのなかで特に,批判的思考(クリティカルシンキング)の位置づけが気になるところですが,これらを見る限り,単純に「分析的システム=批判的思考」という関係ではない,といえそうです。分析的システムにはもっと広く,言葉を使うこと,仮定的に考えることすべてが含まれます。それに,「TASSを拒否するのが分析的処理の重要な機能」とありますが,たとえば,特定のスポーツに習熟するということは,「反射」(たとえばボールが飛んできたらよけたり目をつぶったりする)を抑制し,そのスポーツに適した動きができるようになるということが,特定のスポーツに習熟するということで,それは上に「TASSを拒否するのが分析的処理の重要な機能」とあることに対応しますが,しかしそれを批判的思考とは表現しないでしょう。

 分析的システムのなかでの批判的思考の位置づけを考えるうえでは,「メタ表象」「内省的」という言葉がヒントになりそうです。その話は後の章で出てくるはずです。

*1:本書は8章構成なので,1回につき2章ずつ扱っていくと考えて,4回としました

*2:たとえば「避妊」や「堕胎」を考えれば,そのことは容易に理解できるでしょう

*3:〔引用者注〕man gites dog と dog bites manが例として挙げられている

*4:切り離し