二重過程理論の中の批判的思考(3)

 『心は遺伝子の論理で決まるのか』の3回目,今日は5章と6章です。

 5章では,進化心理学者のなかには,分析的処理メカニズムの存在を否定する理論家も少なくないことから,それについて反論が述べられています。

 たとえば「一般知能は,実験室と実生活双方の文脈においてこれまでに確認されてきた人間行動の心的指標のなかで,もっとも強力なものの一つ」(p.188)であり,それを無視するのはおかしい,というようなことが述べられています。同様に,性格的差異についても,「重大な人生の目的と関連づけられてきた」として,その存在を軽視することに反対しています。私見ですが,性格や知能に関して問題になるのは,どれほど通状況的一貫性があるかということで,これに関しては,筆者の考えとは異なるデータも多数あるはずですので,こう簡単に言い切れるのだろうかと思いました。

 第6章は,「かなり賢い人たちの多くが,どうしてこんな,信じられないほど愚かなことをしでかすのか」(p.213)という合理性のパラドックスについて述べられています。それに対する筆者の考えは明快で,知能的に賢くても,合理性が低ければそうなってしまうのは当たり前だ,ということで,知能と合理性を分けて考えています。

 知能とは,「感覚的速度,分別の正確さ,ワーキングメモリ容量,長期的メモリに格納されている情報を検索する効率」(p.216)など,情報処理の,アルゴリズムレベルでの能力です*1。それに対して合理性は,意図レベルの話であり,「信念,信念構造,およびこれが重要なのだが,信念を形成し,変化させることに対する姿勢」(p.216)としての思考態度(認知スタイル)が関係してきます。

 意図レベルでのエラーによって愚かに行動してしまい,問題が生じることは多々あるわけですが,「非合理的な判断や行動に走りやすい人間を,そうならないように教育することで,こうした災厄の一部が回避できるのではないか」(p.225)という改善論の立場を筆者はとっています。

 その改善について筆者は,次のように述べています。

合理性はどちらかといえば,アルゴリズムレベルの基本的認知能力より訓練のしがいがある(たとえば,代替解釈を評価するうえで意味のある証拠を探す能力に比べると,短期的記憶能力は,短い期間の指導では変化させにくい)。しかも,個人の目標達成にとっては,合理性の方が重要である。テスト万能の欧米社会にはいまや,さまざまな種類の評価ツールが揃っていて,学校や企業で使われているが,合理的思考のスキルを評価することにはほとんど力点が置かれていない。〔中略〕こうしたスキルには,証拠に見合う結論を導く能力,共変動を評価する能力,確率的情報を処理する能力,信念の度合いをキャリブレートする能力,論理的含意を認識する能力,不確実性の度合いについて一貫した尺度を持つこと,効用を最大にするような安定した選好を持つこと,代替解釈を考慮すること,首尾一貫した判断を下すことなどが含まれる。合理的思考のこれらの構成要素の多くについての教育プログラムも存在する。(pp. 233-234)

 なるほど,このように合理的思考の内容を明確化してしまえば,評価も教育も可能そうです。そしてここで挙がっている合理的思考スキルは,批判的思考(クリティカルシンキング)そのものといってもよさそうな内容ですね。

 そういえば上の引用文で一つ驚いたのは,「欧米社会で,合理的思考のスキルを評価することにはほとんど力点が置かれていない」という部分です。まあ確かに批判的思考テストの種類は少ないし,内容も十分とはいえないかもしれませんが,しかし「ほとんど力点が置かれていない」と断言されるとは思ってもみませんでした。

 最後に私見ですが,批判的思考技能とは確かに,上に書かれているような諸技能の集まりで,それは一般的に測定・教育可能かもしれません。しかしその合理的思考は,並列分散処理を基本とするシステム上で,いわばバーチャルマシン的に稼働しているわけですから,TASSのくびきを逃れるのは難しいだろうなと思います。それは,批判的思考教育プログラムで取り上げられたような文脈で考えることはできても,それが他に般化することは難しかったり,どこかで自分の信念などによるバイアスの影響を受けてしまうだろうということです。
 そうならないための方法論としては,多様な文脈で学ぶことも一つの手ですが,最終的には,自分の信念を常にチェックする姿勢とか,それを変化させることを厭わないという構えなど,思考スタイル,思考態度の問題になるだろうという気がします。といっても,合理的(批判的)思考教育プログラムで何をどこまで(何のために)目指すのかによって,そこまで考えるかどうかは違ってくるでしょうが。たとえば,日常の特定業務を遂行するうえで,代替解釈を一度は考える,というように範囲を限定していいのであれば,態度形成まで考えなくてもいいかもしれません。これについては今後,もう少し考える必要がありそうです。

*1:そう考えるから筆者は,一般知能gを擁護するんですね