質的分析(補足)

昨日書いたことですが,「常識」が,何を指しているのか良く分からなかったという意見がありました。これはひょっとしたら,「暗黙の前提」という表現をした方が理解がよかったかもしれません(あるいはスキーマ?)。言い方を変えれば,「それがあることによって論理がつながるもの,しかし(言わなくても相手に伝わると考えて)明示的には表現されないもの」とも言えるでしょうか。

ちなみに私が「常識」という語を使ったのは,野矢(2001)*1の次の記述に依っています。

たんなる「常識」なんていうのはありはしない。
 ぼくの奥さんはよく「哲学者の常識は世間の非常識なのよ。知ってた?」とか言うけれど(そしてそれは哲学者の妻の常識なんだそうだ)、普遍的な「世間」なんてものがありはしないように、普遍的な「常識」などというものもない。それからまた、ただひとりのひとにとっての常識というものもない。常識というのは、ある範囲のひとたちに共通の、とりたてて言う必要もないほどあたりまえの知識のことだ。
〔1段落省略〕
 より狭く言えば、たとえば内科医の常識と外科医の常識は違う。まして医者の常識と哲学者の常識はもっと違う。認知心理学の研究によれば、論理的な推論でさえ、それぞれの領域に特徴的な推論の型をもっているんだそうだ。「世間の常識」というやつだって、文化や社会が異なればずいぶん違ったものになるだろう。
(pp. 132-137)

この話を形式的論理学の話に持ち込んで論じるならば,論理学では「A,AならばB,ゆえにB」としたときに妥当な推論となりますが,日常では,「A,ゆえにB」ということがほとんどでしょうね。このとき,「AならばB」の部分(あるいはさらにその前提となる部分)が,暗黙の前提として「言わなくても伝わるはずのこと」として扱われています。
このことについては,暗黙の前提暗黙の前提(続き)というエントリにもう少し書いています。

*1:野矢茂樹 2001 はじめて考えるときのように PHP