意思決定について(3)−意思決定における目的・目標の重要性
昨日紹介した『意思決定入門』(中島 一 1990 日経文庫)の第二版である『意思決定入門』(中島 一 2009 日経文庫)は,ほぼ原型をとどめない大幅改訂がなされており,私が初版に感じていた問題がいくつか解消されていました。
- 作者: 中島一
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2009/05/01
- メディア: 新書
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また本書では,(驚いたことに)意思決定と問題解決の関係についても触れられていました。それは「意思決定論の開祖といわれるロバート・サイモン」(p.22)の考えの紹介で*1,問題解決のサイクルを「問題発見→問題認識→設計→選択→実施→評価」と捉え,その中の「問題認識→設計→選択」を意思決定として位置づけたというものです(p.42)。意思決定を,問題解決の中の一部分(決定と関わる部分)と位置づけるのであれば,よくわかります。
さらに,第一版では触れられていなかった「最適案の選択」についても,本書では触れられています。それは要するに,絶対条件としての目標をクリアしている案の中から,その他の目標の達成度合いを数値化して比較する,という,まあオーソドックスなものです。それに加えて,リスクの評価をして,最終的な案を選択します*2。なお,この「最適案の選択」については,4ページ程度の扱いですので,やはり筆者がさほど重視していないようです。
なお,「最適案の選択」の節の最後に,次のような記述があることからも,筆者は単なる選択だけでなく,「実行する」ところまで視野に入れたいのだという事が分かります*3。
案が決まったからということで安心はできません。案の採択は,目的に向かう進路決定にすぎないということを忘れないようにしましょう。決定の後には,より困難が伴う実行が待っているのです。(p.94)
あと,筆者が第一版から重視・強調している「目的・目標の設定」*4についても,本書で少し理解が進みました。それはたとえば,次のように書かれています。
何でこんな誰にでもわかる幼稚な選択をしたのか,実行された案の選択に至った過程を分析してみると,意思決定の要所を安易に見落としていることがわかります。その多くは,目標の設定の貧弱さに帰結するのです。必要な目標に気が付かなかった,気付いていたけど誰かが意図的に目標から落とした,目標の軽視がもたらすリスクの大きさを見誤った,などです。(p.81)
なぜ目標設定が貧弱になるのか。人は,目的・目標からではなく,案から考える習性がある,と筆者は述べています*5。会議の場などでよく,ああした方がいい,こうした方がいい,あのやり方はだめだ,このやり方はよくない,というだけの話になることは少なくないと思いますが,どの案がいいかは,どんな目的・目標を目指しているかによって変わってくるわけですから,このレベルで話を続けているのは,たいていの場合,不毛です。そこで筆者は次のように提案しています。
そのような時には,じっと我慢して,皆の意見をノートに整理して,目的−目標を自分で黙々と整理していることが大切です。皆さんの挙げてくれるメリット・デメリットは,いずれも,ある特定の目標に対する推薦案の特徴にしかすぎないことがわかります。(p.132)
そこで目標を整理し,目的(=この決定から得たい最終成果)を共通確認し,目標(=選択基準)を明らかにしたうえでそれぞれの案を評価しましょう,と筆者は述べています。
確かに,目的は各自で暗黙に想定したうえで案のレベルで議論を続けてしまい,土台がずれているために議論が平行線になることは,日常の議論をみても少なくないなあと思いました。それに気付いたときには私も,目的・目標や基準の整理をするようにしているのですが,それが筆者が第一版から言っていた「意思決定における目的・目標の重要性」ということなんだなあと,本書でようやく納得した次第です。
*1:たぶん,1979年にノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンの間違いだろうと思います
*2:このやり方はKT法のやり方そのもので,KT法については,また後日触れようと思っています
*3:この考えは,上に挙げた筆者の意思決定の定義には沿っているわけですが,サイモンのいう意思決定の範囲からははみ出しているわけで,それならいっそ本書の書名を「意思決定」より広いものにしたらよさそうなものなのに,と思いました
*4:本書でも,「目的良ければすべて良し,と言われるくらいに目的の選択は大切です」(p.74)と強調しています
*5:ちなみに筆者は,「目標設定が貧弱になる」理由として,人間の習性を述べているわけではありません。ここは私がつなげて解釈してそう書いたわけですが,この論じ方では「なぜそうなるかというと,そういう習性を持っているからだ」という言い方になってしまい,何も説明していないのと同じになるので,あまり美しくはないのですが,一方で,「人ってよくそうしてしまうよなあ」という日常の実感があるので,ここでは私なりにあえてつなげてみました