太平洋戦争におけるピンチの源
戦後日本のピンチとチャンスのところで,「日露戦争に勝ったが故に,「朝鮮半島から大陸にかけて軍事的な進出を果たし,権益を確保する」というやり方に固執してしまい,それが第二次世界大戦敗北まで続いた」という例を挙げましたが,そのあたりのことに触れられている本を読みました。
- 作者: 半藤一利
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/10/19
- メディア: 新書
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この本の最後の方に,「リーダーの条件」がいくつか述べられています。その5には,「規格化された理論にすがるな」とあり,次のように書かれています。
日本海軍はいっぺんうまくいくと成功体験をひっぱって,もう一度それをやろうとしました。早い話が,明治四十年から営々辛苦して練ってきた対米必勝戦術というものは,とどのつまり日露戦争のときの日本海戦の再現でした。
過去の成功体験に固執することがピンチの源となるということですね。しかもそのことは米軍に見破られていたようで,次のエピソードを筆者は紹介しています。
米南太平洋方面軍司令官ハルゼイが,作戦会議の席で幕僚たちにこう訓示しています。
「日本人というやつは一回うまくいくと,かならず同じことを繰り返す。…〔後略〕…」
この差は,情報や過去の教訓を大事にした米軍と,驚くほど情報を軽視していた日本軍の差のようです。
なおこの逆の発想を持った人として筆者は,本田宗一郎の言葉を紹介しています。
古い伝統と歴史を持つ会社はかならず伝統を大事にする。しかし大事にしすぎると古い観念と技術が温存され,退歩するばかりとなる。昔のワクをはずさぬとパイオニア的仕事はできぬ
問題は,伝統と歴史を「大事にしすぎる」という点でしょう。その枠を外すことは勇気がいることかもしれませんが,それを強いてくれるのが「ピンチ」といえるでしょう。