「暗黙の前提」の重要性
前々から、批判的思考を考える上で、「暗黙の前提にセンシティブになること」はとても重要だと思っていました。しかしそれがなぜ重要なのか、今ひとつうまく言語化できていませんでした。
しかし今日やった授業のなかで、そのことが少し見えてきたような気がしたので、忘れないうちにメモしておきます。
『論理トレーニング101題』で筆者の野矢茂樹氏は、次のように書いています。
独善的な論証ほど、問題のある前提が隠されている。それゆえ、隠された前提を探り出すことは論証の批判にとって決定的に重要なことである。(p.113)
これはおっしゃるとおりで、論証の不備が暗黙の前提に隠れていることはよくあります。あるいは平行線のすれ違いの議論で、前提が異なっていたために議論がかみ合っていなかった、ということもあるでしょう。
しかしそれだけではありません。一見独善的にみえる(あるいは理解不能な)議論であっても、適切な前提を補充してやることで、理解可能なものにすることができます。おそらく心理療法家などが、一見共感できなさそうな他者の体験を共感的に理解しているときにやっていることは、おそらくそういうことでしょう。
ということは、上の野矢氏の発言は、次のように加筆できるのではないでしょうか。
隠された前提を探り出すことは、論証の批判のみならず、他者を共感的に理解するに際しても、決定的に重要なことである。
なお暗黙の前提については、私はこれまでに、「暗黙の前提」、「暗黙の前提(続き)」というひと続きのエントリーを書いています。