ロジカルシンキングと論理学(1)

ビジネス系におけるロジカルとは?の続きです。そろそろ「ビジネス系ロジカルシンキング」と「論理学」の関係について,具体的に考えてみましょう。ちゃんと論じきれる自信はまったくないのですが,それでも少しは何かが書けそうなので,とりあえず見切り発車してみます。

まず,ビジネス系ロジカルシンキングにおける「論理的」ですが,典型的には次のような使われ方をしていると思います。

ロジック・ツリーとは,MECE*1を意識して上位が意見を下位の概念に論理的に分解していくことである。
グロービス (2001) MBAクリティカル・シンキング ダイアモンド社, pp.137-138.

私が分からないのは要するに,「論理的に分解」ってどういうことだ?ということになるかと思います。

ちなみに,手持ちの論理学の本数冊を見てみましたが,「論理的に分解」に相当しそうなものは,私の見る限りでは見あたりませんでした。

では論理学者の考える「論理的」とは何か。論理学の本であるにもかかわらず,私たちが日常用いていることばとの関連がかなり意識されている本として,『入門!論理学』(野矢茂樹 2006)入門!論理学 (中公新書)が挙げられると思います。そこにはこう書かれています。

「論理的」というのは,それまでの発言ときっちり関係づけて次の発言をすることだと言えるでしょう。「論理的」ということばがもっているこの側面は,かなり論理学が扱う「論理」に近づいたものになっています。おおざっぱに言えば,「論理」とは,言葉と言葉の関係の一種なのです。だから,ことばとことばをきちんと関係づけて使う人は「論理的」で,そのときそのときの思いつきで脈絡なく発言する人は「非論理的」ということになります。(野矢, 2006, pp.6-7)

ここで言われている「ことばとことばの関係づけ」とは,演繹的推論でいう「前提と結論」の関係であり,それは,「前提を認めたら必ず結論も認めなければならない」(p.17)という関係です。この本自体で扱われているのは,「否定」「かつ」「または」「ならば」という命題論理,「すべて」「存在する」という述語論理の話です。

ということで,にも書いたように,「ビジネス系ロジカルシンキングの世界においては,ロジカルシンキング≠論理学」のようです。

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でも一方で,「MECEで考えるのって「論理的」って感じがするよなあ」と思う場面があるのも確かです。

先日,ある人が液晶プロジェクタにパソコンをつないで,パワーポイントの画面を提示しようとしていました。でもスクリーンにはまったく何も写りません。その場にいた人たちは,「Fn+F3押した?」とか,「パソコンを再起動したら?」とアドバイスしていました。それでも写らないので,プレゼンターは何度もFn+F3を押したり,パソコンを再起動したりしていました。

この場合,「パソコン」と「液晶プロジェクタ」,という2つの機械が「ディスプレイケーブル」でつながれているわけですから,問題があるとしたら,この3つのどこかであるはずです。それなのに,なんでパソコンしかいじらないんだろう,と不思議でした。そこで,「ケーブルかプロジェクタに問題あるかもしれませんよ」というと,急いで別のプロジェクタが用意されました(結局は写りませんでした。ケーブルは換えていないし,パソコンも,出力部分か何かのハード的だったのかもしれません)。

こういうときに,問題がある可能性がある箇所を全部列挙し,一つずつ異常がないか確かめていかないといけないわけですが,そういうことをするのって,なんだか「論理的に考えている」という感じがします*2

でもこのときの「論理的」って,どういう意味で論理的なんだろう,というのが私の問いなわけです。やっていることは,MECEというか,モレなくチェックしないとね,ということなのですが,それは決して「前提を認めたら必ず結論も認めなければならない」という意味の「論理的」とは違うと思うんですね。でも「それって論理的」と言いたくなってしまう。

これってどう理解したらいいんだろう。そのことを最近考えているわけですが,長くなったのでここでいったん切ります。

*1:モレなくダブリなく

*2:逆に,全体を考えずに,たまたま目に付いた一箇所だけしか見ないのって,論理的じゃないっていうか,原始的な感じがします