教師が飛躍するとき(1)−一人ひとりの思いを可視化して問題解決
今、『教師が飛躍するとき』という本を読んでいます。この本は、10人の教師がそれぞれ体験した「飛躍したとき」のことについて語っている本です。
- 作者: 横尾浩一
- 出版社/メーカー: 学陽書房
- 発売日: 1995/03
- メディア: 単行本
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このなかで、今泉博先生の話「困難は新しい視点と発想を生み出す」が興味深かったので、これを元に考えてみます。
今泉先生は小学校の先生なのですが、あるとき、荒れた6年生の担任をすることになりました。しかし幸いなことに、2カ月半でそれを変化させることができたそうです。
授業中立ち歩く。口笛をふく。勝手におしゃべりをする。わざと音を立てる。机や壁に足を上げて座る。あの騒然として、めちゃくちゃだった四月の頃では全く想像もできないほど、学級が変わったのです。あの同じ子どもたちが、わずか二ヶ月半ほどで、こんなにも変わるものなのか。私にとっても驚きでした。(p.49)
荒れた学級を変える、というのは、言ってみれば「問題解決」をしているわけで、その点に、思考に興味があるものとして興味が湧きます。では今泉先生は何をしたのでしょう。
おそらく一番効果があったのは、「誌上討論」のようです。これは、「問題を話し合うことさえ不可能な状態だった」からこそ行われたものでした。
子どもたちに紙を配り、いじめられたり、暴力を受けた事実を書いてもらいました。すると私が思っていた以上に、子どもたちは書き始めました。私はそれらの文章にすべて目を通し、「赤ペン」を入れます。積極的な面を励まします。その中の重要な意見をワープロで打ちます。子どもたちの名前は最初の段階では書きません。場合によっては、かえっていじめられるといった結果を招き、取り組みがうまくいかなくなる危険があるからです。
翌日プリントした文章を必要なコメントをつけながら、みんなの前で読んであげます。そのあと各自が、それらの文章について、各自がプリントの余白に自分の意見や感想を書きます。プリントは各自がノリで貼り合わせて、見開きできるように冊子にしていきます。
この冊子は、うちには持って帰らないことにしました。(pp.43-44)
これによって子どもたちは、真剣にいじめや暴力について考え始めたそうです。そしていじめや暴力がほとんど見られなくなり、いじめをしていた子も反省し、授業中の様子もまるっきり変わったといいます。
これを始めたのが6月に入ってからなので、最初の引用文と重ね合わせて考えると、2週間ほどで変化がでたようです。
それまでにも先生は、ボス的な存在の子の不適切な態度に厳しい口調で注意したり、生活ノートを活用しようとしたり、といろいろな手立てを打っています。しかしそれらが直接的に、十分な効果を示さなかったのに対して*1、誌上討論はなぜうまくいったのでしょう。
それはおそらく、クラス一人ひとりの子どもが考えていること、感じていることが目に見える形で、向き合わざるを得ない形で示されたからではないかと私は考えました。今泉先生が直接そう書いているわけではないのですが、たとえば誌上討論のくだりの前に、「学級の具体的な問題を、全員の子どもが考える状況をつくり出さない限り、短期間に学級を変えることは望めません」(p.42)と書いていることからも、誌上討論がそのような役割を果たしたのだろうと推測することができます。
このことを一般化した形でいうならば、「集団のなかで起きている問題を解決するためには、集団の成員一人ひとりが体験したこと、考えていること、感じていることなどを可視化できる仕組みが必要」といえるかと思います。
逆にそういう仕組みがないと、他人の思いや感覚を勝手に判断してしまったり、全員の思いではなく声の大きい少数の人の思いだけを受け取ってしまったり、自分で自分に真剣に向き合うことを避けてしまうのではないかと思います。
*1:もちろんそれらは、誌上討論がうまくいくための土壌づくりをした、という意味で間接的には効果があったのでしょうが