外向的な(考えるより行動する)社会

TEDで,「内向的な人が秘めている力」というスピーチを見ました(こちらに動画と翻訳があります)。そのなかで,思考と,協同的活動についての部分が興味深かったので,抜き書きしておきます。

〔前略〕
今の教室はどんな風でしょう? 私が子どもの頃は、机が列に並べられていて、ほとんどの作業を個人個人でやっていました。でも今時の教室では4人から7人ごとに島になって、子どもたちは多くのことをグループ課題としてやっています。思考の単独飛行に依存するであろう数学や作文でさえその調子で、子どもたちは委員会のように振る舞うことを期待されています。
〔中略〕
同じことが職場についても言えます。多くの人が壁のない開放的なオフィスで仕事をしています。絶えず雑音や他人の視線にさらされています。
〔中略〕
なぜ学校や職場をそんな風にしたのでしょう? なぜ内向的な人が時々1人になりたいと思うことに罪悪感を持たなければならないのでしょう? 1つの答えは文化の歴史の中にあります。西洋社会、とくにアメリカにおいては、常に「考える人」よりも「行動する人」が好まれてきました。
〔後略〕

ここで興味深いのは,アメリカで考える人よりも行動する人が好まれてきた,というくだりで,これは,リチャード ホーフスタッターのいう『アメリカの反知性主義』でしょう(この本について私は,こちらに読書記録を書いています)。

アメリカの反知性主義

アメリカの反知性主義

よく,「アメリカでは批判的思考が定着している」という言い方を聞きますが,それがすべてではないということだろうと思います。私自身はアメリカの風土を直接肌で知っているわけではないのですが,上記の本やスピーチをはじめ,書籍その他の情報から得る印象としては,アメリカでは,知性主義的な文化(クリティカルシンキング的なものを重視する文化)と,反知性主義的な文化(行動とか保守とか)がせめぎ合っている(棲み分けている?),といえそうです*1

そのことを再確認できた,という意味で興味深いスピーチでした。

なお細かいことをいうなら,「常に「考える人」よりも「行動する人」が好まれて」来たのであれば,どうして「今時の教室」でグループ作業が中心になったんだろう,という気がします。つまり最近のこの変化は,アメリカでの半知性的・行動的文化だけでは説明できないのではないかと思います。

*1:その意味で,クリティカルシンキングが大事だというメッセージは,さめた言い方をするなら,知性主義陣営から発せられたプロパガンダ,といえるでしょう