『「やればできる!」の研究』

動機づけの研究者と言っていいのでしょうか,キャロル S.ドゥエックの一般向け書籍です。しばらく前に読み,その主張に感動したので,ぜひここに記録しておきたいと思ったのですが,どう書いていいかイメージが湧かず,しばらくほったらかしていました。しかし先日,授業で触れざるを得なくなったので,そこでまとめたものをもとに書いてみることにします。

「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

本書の基本的な考えは,人がどのような信念を持っているかによって,どう行動するかが変わり,やる気がでるかどうかが変わる,というものであり,信念を変えることは,大きな効果をもたらすというものです。ここでいう信念とは知能(頭の良さ)についての信念で,拡張的知能観,固定的知能観という言葉で知られているものです。私もこれらの言葉は聞いたことがありました。しかし改めて本書を読んで「感動した」のは,理由があります。そのことは後半に書くとして,まずは本書の概要をまとめておきます。

本訳書ではこの2種類の知能観を「しなやかマインドセット」「こちこちマインドセット」と呼んでいます。こちこちマインドセットとは,能力を固定的で変わらないものと考える考え方です。それに対するしなやかマインドセットは,努力次第で能力は伸ばせると考える考え方です。これが異なると,行動もさまざまに変わってきます。

たとえばこちこちマインドセットの人は他人からの評価が気になるのに対し,しなやかマインドセットの人は自分を向上させることに関心があるとか。努力することについて,こちこちマインドセットの人は忌まわしいものと考え(努力しなければならないということは,自分に能力が欠けているということになるから),しなやかマインドセットの人は,自分を賢く有能なものにしてくれるものと考えるとか。テストについては,こちこちマインドセットの人は1回で自分の価値が決まってしまう恐ろしいものと考え(能力は変わらないから),しなやかマインドセットの人はテストでは将来はわからないと考えるとか。失敗とは,こちこちマインドセットの人にとっては烙印になるのに対して,しなやかマインドセットの人にとっては教訓を得て挽回するものであるとか。失敗して気分が落ち込んだとき,こちこちマインドセットの人は投げやりになって問題解決しようとしなくなるのに対して,しなやかマインドセットの人はなおいっそう問題解決の手立てを講じようとするとか。このような違いが,根底にある信念から生まれます。

ここで注意しなければならないのは,マインドセット自体固定的なものではなく,ほとんどの人が両方のマインドセットを併せ持っているという点です。分野によっては発揮されるマインドセットは異なりますし,基本的にこちこちマインドセットの人でも,しなやかマインドセット的なもの(記事など)に接して感化されれば,そのような行動をとることもあります。

小学校から中学校への移行期は,こちこちマインドセットの子にとっては脅威となります。というのは,勉強も難しくなり,その出来不出来も小学校までよりはるかに見えやすくなるからです。そこでこちこちマインドセットの人は,「努力しない」ことで自己防衛しようとします。よくみられるのは,さまざまに言い訳することで,「努力したくてもできない」ことにすることです。それに対してしなやかマインドセットの子にとってこの時期は,新しいことを学び,将来の方向性を見つけることにつながりますので,むしろチャンスの時期ととらえられます。

この「こちこち−しなやか」という信念の違いは,人間関係にも影響します。こちこちマインドセットの人は,性格や相性を固定的なものととらえるからでしょう,相性がよければ何事もうまくいくし,そういう間柄なら,言葉にしなくてもこちらの考えをわかってくれて当然と考えます(逆に人間関係がうまくいかないのは,相性が悪いから,相手の性格が悪いから,ということになり,それは「どうしようもないこと」になります)。一方,しなやかマインドセットの人は,どんな間柄でも意見の齟齬は生じること,そしてそれを努力で乗り越えることで良い関係を続けることができることを知っています。

もう一つ。こちこちマインドセットの人は,親や他者の言葉を,「自分の優劣を評価するメッセージとして」受け取っている可能性があります。つまり,同じ言葉を他者から言われたとしても,それをどう受け取るか,言った相手の意図をどう理解するかがまるで異なるということです。

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この考えがすごいなと私が思ったのは2点ぐらいあります。
一つは,単なる知能観の話だけではないという点です。後半に書いた対人関係の話は,知能観の話ではなく,人間観(人間関係観?)の話と言えます。冒頭に「拡張的知能観−固定的知能観」という書き方をしましたが,同じように,「拡張的人間観−固定的人間観」もあるということです。だからでしょうか,本書(訳書)では,「知能」のような言葉はつけずに,「こちこち−しなやか」マインドセットと表現されています。確かにこの考えは,「知能観」とつけて知能の話に限定してしまうのはもったいないような,人間の基本にかかわる話だと本書を読んで思いました。

もう一つは,この観点を知ることで,他者理解が深まるということです。世の中には,勉強のことにせよそれ以外のことにせよ,「言い訳」をする人がいます。その内容は,よく吟味してみると,あまり適切な内容でなかったり,矛盾していたりすることがあります。しかしその点を指摘しても,状況が改善されるわけではありません。さらに言い訳を重ねることでそのような指摘を否定されることがほとんどでしょう。しまいには逆切れ,というパターンもあるようです。こういうとき,どうして理屈が通じないのだろう,と思っていました。

しかしこれは,上に書いたように「自己防衛」であり,その根底には知能観や人間観が横たわっているのだと考えると,理解することができますし,その後のやり取りがかみ合わない理由も見えてきます。「だから相手が言っていることは間違いだ」と考えるのではなく(あるいは正論をはくのではなく),これは何を防衛しているのか,その根底にはどのような信念があるのか,と理解を深めるための指針としてこの考え方(こちこち−しなやか)は使えると思うのです。

このブログは基本的には「考えること」について考えているわけですが,本書の観点は,つい「ロジカルであることが正しいことだ」と考えがちなところにブレーキをかけてくれ,より幅広く他者の考えを理解するうえで,とても有用な考えだと思いました。