批判的思考態度としての「開かれた心」
開かれた心(open-mindedness)は、批判的思考の諸要素のなかでも、特に重要な概念の一つだと私は思います。そこで、代表的な批判的思考研究者が「開かれた心」について、どのように述べているか、まとめてみました(道田(2003)*1と道田(2006)*2をもとに構成しました)。
まずは、Ennis(1987)*3の批判的思考の態度リストより。
- 開かれた心でいる
- 自分もののとは違う視点を真剣に検討する
- 自分が受け入れない前提から推論する(受け入れないことを推論に影響させない)
- 証拠と理由が不十分なときは判断を保留する
これをみると、「自分の視点に固執しない」(自分の視点に固執して、無理やり不適切な結論を出してしまわない)ことを述べているようです。またこれに近い批判的思考態度として、「他人の感性,知識レベル,洗練さの程度に敏感である」というものも挙げられています。
次にFacione(1990)*4の批判的思考の情意的傾性リストより。
- さまざまな世界観に対して開かれた心をもっていること
- 自分自身のバイアスや偏見,ステレオタイプ,自己中心性,社会中心性の傾向に直面したときの正直さ
- 他人の意見の理解
- 正直な反省によって,変えることが正当であるときは,よろこんで再考し考え方を変えること
- 推論を評価するに際しての公平さ
直接「開かれた心」という表現が使われているのは1番目のみです。何に対して開かれているのかというと、「さまざまな世界観」に対してである、ということがわかります。他の4項目は、Facione自身は「開かれた心」とは別項目にしていますが、さまざまな世界観に対して開かれている、という観点から考えると、これらも要するに開かれた心について述べているのだと思います。
最後にPaul(1995)*5の批判的思考の情意次元のリストより。
- 知的誠実さと判断の保留を発揮する
- 自己中心性と社会中心性についての洞察を発揮する
- 知的誠意と統合を発揮する
Paulは開かれた心という語は使っていませんが、「自分の視点に固執しない」「さまざまな世界観」という観点でみると、上の3項目がそれにあたると思います。なおPaulは、「強い意味の批判的思考」という考えを提唱していますが、これが「開かれた心」と同じものであるとPaul(1987)*6で述べています(強い意味の批判的思考については次の記事で)。
ということで以上まとめるならば、開かれた心とは、「自分の視点だけで閉じてしまうのではなく、自分とは異なる考え(世界観)に対しても、公平に、真摯に向き合うこと」といえるかと思います(あくまでも暫定的なまとめですが)。
*1:道田泰司 (2003) 批判的思考概念の多様性と根底イメージ 心理学評論, 46, 617-639.
*2:道田泰司 (2006) 思考のパースペクティブ性に関する一考察 琉球大学教育学部紀要, 69, 95-106.
*3:Ennis, R. H. (1987). A taxonomy of critical thinking dispositions and abilities. In J. B. Baron & R. J. Sternberg (Ed.), Teaching thinking skills: Theory and practice (pp.9-26). New York: W. H. Freeman.
*4:Facione, P. A. (1990). Critical thinking: A statement of expert consensus for purposes of educational assessment and instruction. Newark, DE: American Philosophical Association (ERIC Doc. No. ED 315 423).
*5:Paul, R. W. (1995). Critical thinking: How to prepare students for a rapidly changing world. Santa Rosa, CA: Foundation for Critical Thinking.
*6:Paul, R. W. (1987). Critical thinking and the critical person. In D. N. Perkins, J. Lochhead, & J. C. Bishop(Eds.) Thinking: The second international conference (pp.373-403). Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum.