『僕の野球塾』

 町立図書館で借りてみました(現在は文庫本も出ているようです)。

僕の野球塾

僕の野球塾

特に何かの期待があったわけではないのですが,サブタイトルを見ると「「考える力」こそ最強の武器」とあり,何か所か,考えることの大事さについて書かれている個所がありました。たとえば,「なんとなく野球をやっている人は,なかなかうまくならない。反対に,野球のことを考える時間が長ければ長いほど,上達するまでの時間が短く,さらに高いレベルを目指すことができるようになります」(p. 16)なんていう記述があります。

次のような記述もありました。

トライしてみて,まずは結果を出してみる。その結果が悪ければ,どこを直して,次になにをなすべきか追求し,目標に向けて努力をつづけていく。振り返るのは,マイナス思考でではなく,ただ反省するためにだけ。反省したら,あとは前しか見ない。そういうことが大事だと,僕は思います。(p. 171)

前回に書いた松下氏の話と同じく,反省し,それを次に活かすことの重要性が語られています。

なお,工藤選手は,入団5〜7年目に2ケタ勝利を挙げるようになりましたが,8年目には4勝と低迷し,「工藤ももう終わりだ」と言われており,本人も半ば首を覚悟したのだそうです。ちょうどその機に結婚をし,奥さんの支えもあり,体質改善から考え方の改善まででき,結果として40代で2ケタ勝利をおさめるぐらい長期にわたって活躍できました。そういう工藤選手の野球人生と,それを支えたもろもろのこと(考えることも含め)がわかり,また,素人がみてもなるほどと思えるようなトレーニング法の紹介などもあり,なかなか興味深い本でした。

松下幸之助『物の見方・考え方』

 KINDLEで,この本を買ってみました。
物の見方 考え方 (PHP文庫 マ 5-3)
この本にしたのは,松下氏の本を読んだことがなかったこと,値段が安かったこと,タイトルやカスタマーレビューに興味をひかれたからです。読んでいるときの感想は,筆者の自伝的な部分は興味深いものの,内容は,まあそれなりだなというものでした。

しかし先日読んだ『「やればできる!」の研究』を念頭に置いて全体を眺めなおしてみると,しなやかマインドセット的な記述が見受けられ,興味深いところがあるなと思いました。たとえば文庫版前書きには,「困難にぶつかって一時的に悩んでも,すぐに見方や考え方を変え,災い転じて福となしてきた」という記述があります。

「失敗」に関しては,筆者は次のように書いています。

 体験というものは,何か事が起こらなくてはできないのかというと,そうではない。
 日々にやることが一つ一つ失敗の体験であり,また成功の体験であるということを認識することである。また失敗の体験は成功の過程にもあり,失敗の過程にも成功があるのである。今日一日をふりかえり,失敗や成功を見出し,その味をかみしめる。これが体験である。反省することなしにポカンと暮らしてしまえば,これは体験にはならない。

このほかにも,「おもしろいことに,その失敗が成功に転化している場合が非常に多い」などという記述もあり,筆者が偶然やら失敗やらをしなやかなマインドセットでとらえ,反省をしながら活かしてきたことがわかります。言葉にすれば当たり前のことのようにも見えますが,ドゥエックの著作をしると,こういう当たり前のように見えることがとても大事であることがわかります。そういう意味で,読み返すことでその興味深さが見えてきた本でした。

#それにしても,Kindle本を読書記録に書くのは,なかなか勝手が違ってやりにくいですね。パラパラと読み返したくてもそういかないし,引用するのも,せっかくデジタルデータがあるのに,コピーするわけにいかないのがもどかしい感じです。

KINDLEで読書

今日は久々に日常雑記など。

読書欲や読書記録欲が低下して早や4年がたとうとしています。状況はほとんど変わっていません。本は,月に数冊読めばいい方でしょうか。まったく読まない日の方が多いのはあんまり変わっていませんが,ときどき気が向いたら読んでいます。コンスタントに毎日,月に10冊以上読んでいた時代がウソのようです。

とはいっても,ネットサーフィンはほとんど欠かさずやっています。基本的にはベッドで寝転がってノートパソコンでやっていましたが,今年に入ってからipad miniを買ったので,それを愛用していました。

それに,ふと思い立ってKINDLEアプリを入れてみました。本なんてどうせあんまり読まないので,入れてもなあという思いもありましたが,なんとなく入れてみて,なんとなく本を買ってみました。

すると,ペースは速くはありませんが,コンスタントにそれで本を読んでいる自分に気づきました。月3冊ペースですが,コンスタントに読むということが最近なかったので,自分ではやや驚いています。

でも考えてみたら,KINDLEで読むということと,ネットサーフィンは,あんまり変わらないので,要するにネットサーフィン感覚で読んでいるせいなのかなあと思いました。

ということで,気が向いたら,KINDLEで買って読んだ本についても,ここで書こうかなあとちょっと思っています。読書記録意欲が多少なりとも戻っていればの話ですが。

『「やればできる!」の研究』

動機づけの研究者と言っていいのでしょうか,キャロル S.ドゥエックの一般向け書籍です。しばらく前に読み,その主張に感動したので,ぜひここに記録しておきたいと思ったのですが,どう書いていいかイメージが湧かず,しばらくほったらかしていました。しかし先日,授業で触れざるを得なくなったので,そこでまとめたものをもとに書いてみることにします。

「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

本書の基本的な考えは,人がどのような信念を持っているかによって,どう行動するかが変わり,やる気がでるかどうかが変わる,というものであり,信念を変えることは,大きな効果をもたらすというものです。ここでいう信念とは知能(頭の良さ)についての信念で,拡張的知能観,固定的知能観という言葉で知られているものです。私もこれらの言葉は聞いたことがありました。しかし改めて本書を読んで「感動した」のは,理由があります。そのことは後半に書くとして,まずは本書の概要をまとめておきます。

本訳書ではこの2種類の知能観を「しなやかマインドセット」「こちこちマインドセット」と呼んでいます。こちこちマインドセットとは,能力を固定的で変わらないものと考える考え方です。それに対するしなやかマインドセットは,努力次第で能力は伸ばせると考える考え方です。これが異なると,行動もさまざまに変わってきます。

たとえばこちこちマインドセットの人は他人からの評価が気になるのに対し,しなやかマインドセットの人は自分を向上させることに関心があるとか。努力することについて,こちこちマインドセットの人は忌まわしいものと考え(努力しなければならないということは,自分に能力が欠けているということになるから),しなやかマインドセットの人は,自分を賢く有能なものにしてくれるものと考えるとか。テストについては,こちこちマインドセットの人は1回で自分の価値が決まってしまう恐ろしいものと考え(能力は変わらないから),しなやかマインドセットの人はテストでは将来はわからないと考えるとか。失敗とは,こちこちマインドセットの人にとっては烙印になるのに対して,しなやかマインドセットの人にとっては教訓を得て挽回するものであるとか。失敗して気分が落ち込んだとき,こちこちマインドセットの人は投げやりになって問題解決しようとしなくなるのに対して,しなやかマインドセットの人はなおいっそう問題解決の手立てを講じようとするとか。このような違いが,根底にある信念から生まれます。

ここで注意しなければならないのは,マインドセット自体固定的なものではなく,ほとんどの人が両方のマインドセットを併せ持っているという点です。分野によっては発揮されるマインドセットは異なりますし,基本的にこちこちマインドセットの人でも,しなやかマインドセット的なもの(記事など)に接して感化されれば,そのような行動をとることもあります。

小学校から中学校への移行期は,こちこちマインドセットの子にとっては脅威となります。というのは,勉強も難しくなり,その出来不出来も小学校までよりはるかに見えやすくなるからです。そこでこちこちマインドセットの人は,「努力しない」ことで自己防衛しようとします。よくみられるのは,さまざまに言い訳することで,「努力したくてもできない」ことにすることです。それに対してしなやかマインドセットの子にとってこの時期は,新しいことを学び,将来の方向性を見つけることにつながりますので,むしろチャンスの時期ととらえられます。

この「こちこち−しなやか」という信念の違いは,人間関係にも影響します。こちこちマインドセットの人は,性格や相性を固定的なものととらえるからでしょう,相性がよければ何事もうまくいくし,そういう間柄なら,言葉にしなくてもこちらの考えをわかってくれて当然と考えます(逆に人間関係がうまくいかないのは,相性が悪いから,相手の性格が悪いから,ということになり,それは「どうしようもないこと」になります)。一方,しなやかマインドセットの人は,どんな間柄でも意見の齟齬は生じること,そしてそれを努力で乗り越えることで良い関係を続けることができることを知っています。

もう一つ。こちこちマインドセットの人は,親や他者の言葉を,「自分の優劣を評価するメッセージとして」受け取っている可能性があります。つまり,同じ言葉を他者から言われたとしても,それをどう受け取るか,言った相手の意図をどう理解するかがまるで異なるということです。

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この考えがすごいなと私が思ったのは2点ぐらいあります。
一つは,単なる知能観の話だけではないという点です。後半に書いた対人関係の話は,知能観の話ではなく,人間観(人間関係観?)の話と言えます。冒頭に「拡張的知能観−固定的知能観」という書き方をしましたが,同じように,「拡張的人間観−固定的人間観」もあるということです。だからでしょうか,本書(訳書)では,「知能」のような言葉はつけずに,「こちこち−しなやか」マインドセットと表現されています。確かにこの考えは,「知能観」とつけて知能の話に限定してしまうのはもったいないような,人間の基本にかかわる話だと本書を読んで思いました。

もう一つは,この観点を知ることで,他者理解が深まるということです。世の中には,勉強のことにせよそれ以外のことにせよ,「言い訳」をする人がいます。その内容は,よく吟味してみると,あまり適切な内容でなかったり,矛盾していたりすることがあります。しかしその点を指摘しても,状況が改善されるわけではありません。さらに言い訳を重ねることでそのような指摘を否定されることがほとんどでしょう。しまいには逆切れ,というパターンもあるようです。こういうとき,どうして理屈が通じないのだろう,と思っていました。

しかしこれは,上に書いたように「自己防衛」であり,その根底には知能観や人間観が横たわっているのだと考えると,理解することができますし,その後のやり取りがかみ合わない理由も見えてきます。「だから相手が言っていることは間違いだ」と考えるのではなく(あるいは正論をはくのではなく),これは何を防衛しているのか,その根底にはどのような信念があるのか,と理解を深めるための指針としてこの考え方(こちこち−しなやか)は使えると思うのです。

このブログは基本的には「考えること」について考えているわけですが,本書の観点は,つい「ロジカルであることが正しいことだ」と考えがちなところにブレーキをかけてくれ,より幅広く他者の考えを理解するうえで,とても有用な考えだと思いました。

『問い』を発する子どもの育成

読売onlineの「教育ルネサンス」で知ったのだが,秋田県では2011年度より,"『問い』を発する子どもの育成"を掲げているようです。

その記事では,次のような実践が紹介されています。

「教科書を読んで『ハテナ』と思った所を教えて。その後、今日の課題を何にするか考えましょう」と、矢田部瑞穂教諭(46)の指示が飛ぶ。

 秋田県能代市立渟城(ていじょう)南小学校で2月上旬に行われた6年生の国語の授業。「太一がクエを殺さなかったのはなぜか」「クエを見たことをなぜ誰にも話さなかったのか」。子どもたちが疑問を口にした。
豊かな思考問う力から

へえ今もやっているのかな,と思って検索してみると,秋田県教育庁(義務教育課)の「主な施策・事業」のなかに,“「問い」を発する子ども”の育成に向けてというページがありました。といってもごく短いページで,リンクが2つあるだけのページなのですが。

一つ目のリンクは,平成23年7月に出された,方向性を示すPDF文書で,「グローバル時代に生きる子どもたちには、「質問力」を含め、積極的に発言する力の育成が不可欠」などとあります。

もう一つのリンクは,過去2年分の指導事例へのリンクページです。時間があれば中身をじっくり見てみたいところですが...

さらに検索すると,私も時々拝見している「すぷりんぐぶろぐ」(2011.08.02)で,秋田県の教員からみたこの施策について書かれています。こういうものってある時唐突に出されるものなんですね。

ちなみにすぷりんぐぶろぐをもう少し見てみると,質問力の今(2012.9.25)という記事もあり,次のように書かれています。

今その「質問力」はどうなっているのか。
 ネット検索をかけてみると、ほとんどがビジネス関連、わずかにその当時の流れで学校における学習活動等があるようだ。

うーん,私はここ数年,「質問」を中心に思考力育成を考えており,「質問力」をタイトルに冠した学会誌論文を1本,「問いのある教育」に関する紀要論文を1本書いているのですが(そのほかにも,本の1節に「問いとしてのクリシン」について書いたりしています),確かに書かれているように,質問力で検索しても,これらはなかなかひっかかって来ません。もう少し(質問力という語を前面に出して)発信していく必要があるのかも,と思いました。

平和教育における批判的思考

平和教育の分野で以前から批判的思考の必要性について言われている*1,というのを見つけて,それについて少し調べたので,メモ的に書いておきます。

平和教育というと,1999年にハーグで平和アピール市民社会会議が行われ,「ハーグ・アジェンダ」なるものが採択されているようです。それは批判的思考的なニオイはするのですが,そういう言葉は直接使われていません。

その関連で見つかったのですが,ユネスコ(国連教育科学文化機関)は1974年に,「ユネスコ国際教育勧告(国際理解,国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告)では,次の文言があるそうです(野島, 2012*2 )。

  • 国内的及び国際的諸問題についての批判的理解力を獲得すること
  • 教育は,諸国間の矛盾と緊張との底にある経済的政治的性質を有する歴史的及び現代的諸要因についての批判的分析並びに理解,真の国際協力及び世界平和の発展に対する現実の障害であるこの矛盾を克服する方途についての研究を含むべきである

文科省のページに原文と翻訳あり)

1980年には軍縮教育世界会議が開かれ,最終文書の中には次のような記述がなされています。

軍縮教育は、問題中心であるべきであって、受け入れうる国際的行動としての軍縮の削減と戦争の廃絶へむけての実際的措置を検討・評価する分析的・批判的能力を発展させるようなものでなければならない。軍縮教育は、国際理解、イデオロギー的・文化的多様性についての寛容性、社会的正義と人間的連帯への契約といった諸価値に基礎をおくべきである
国際平和と有徳・最終講義より引用)

2002年には,国連総会で「軍縮・不拡散教育に関する国連の研究」が全会一致で採択されたそうです(外務省のページより)。
その中には,次の文言があります(強調は引用者)。

7. 現代の軍縮・不拡散の教育・訓練の目的は以下の通りである。
(a)この論点について何を考えるかではなく、どう考えるかを学習する
(b)情報を与えられている市民の批判的思考技能を伸ばす

24. 新しい公式・非公式の教育課程というものは
(a)主題について批判的技能批判的思考を発展させるのに役立〔中略〕べきである。
(PDFファイルはこちら。ざっと見た中では,このファイルへのリンクが貼られている外務省のページを見つけることができなかったのですが...。)

2010年には,42か国を代表して日本が軍縮不拡散教育に関する共同ステートメントを実施したそうです。そのポイントは以下の通りです。

(1)「核兵器のない世界」の実現のため軍縮不拡散教育の果たす役割の重要性。
(2)核兵器使用の破滅的な結果に関する教育の重要性。
(3)各人が軍縮不拡散の促進に主体的に貢献できるよう,「批判的思考」の教育の重要性。
(4)2002年の政府専門家グループによる34の勧告の実施を慫慂。
(5)各国政府,国連,国際機関,市民社会NGOの間の協力促進の重要性。
外務省のページより引用。英文PDFあり)

たまたま手元にあった,平和教育に関する本を手がかりにちょっと調べてみると,いくつものものが見つかりました。ほとんど知らないことだったので,半ば驚いて(半ば喜んで)いるところです。

*1:たとえばリアドン&カベスード『戦争をなくすための平和教育』(2005 明石書店)には,「批判的で分析的な技能」は,「ほとんどの平和教育の学習目標としてあげられている」とあります(p.85)

*2:軍縮・不拡散教育」の理論と実際 : 中等教育でのカリキュラム開発と実践報告を主眼として 立命館国際研究, 25, 235-264.

ケーキ


妻の誕生日祝いにケーキを作った(誕生日は数日後だけど)。

妻のリクエストでスポンジケーキを生クリームでデコレーションした。今回が初挑戦だったが,スポンジケーキを作るのも生クリームでデコレーションするのも,結構大変だということが分かった(ちなみにデコレーションしたのは半分以上が娘たち)。

まあでもお菓子作りのレパートリーが少し広がったからいいか。