デューイと批判的思考
とあるワークショップで話題提供をしたら,とある大学の院生さんに,「デューイはなぜ批判的思考という言い方をやめたのか」という感じの質問メールをいただきました。
デューイが「なぜ」批判的思考という言い方をやめたのかは,私は知りません。デューイが「批判的思考」から「反省的思考」へと表現を変えていった経緯は,樋口(1999)*1に詳しいです。
樋口さんは,立正大学の教育方法学の方ですね。これによると,「批判的思考が用語として使用されなくなったのは,質的思考理論の登場に影響を受けたため」ということのようです。質的思考理論って,ご存知ですか?(もしご存知でしたら教えてください)
また,「反省的思考」をやめて「探究」にしたという記述は,田浦(1984)*2にありました。この本では,「探究という語のほうが,省察的思考という語よりも,客観的で,より広い意味を包含すると考えたからであろう」,と考察されています。
なおこちらの用語の移り変わりについては,デューイの『論理学−探究の理論』(1938)の中に,「探究」という言葉の代わりに省察的思考という言葉を使うことを,積極的に否定する,という記述があります。
批判的思考の源流にはさまざまなものがあるようで,デューイもその一つですが,そのほかには,1930年代にアメリカで,社会科と国語科で主張されだした用語のようです。どちらもおそらく,民主的で自立した市民を作る教育,という,佐藤学氏のいう「社会改造主義」の思潮に位置するものだと思われます。
一方,批判的思考という語で,(非形式的)論理学が勢力を持ち始めたのは,私の理解では1940〜60年代あたりのようです。そうだとすると,デューイが,論理学的クリシンのようなものと誤解されたため,「批判的思考」という言い方を止めたというのは,ひょっとしたら違うかもしれません。まあわかりませんが。